日本の「あけぼの」を実感しよう~日本文化の大きな流れ~

はじめに

「明日香村」は、日本の原点です。

私は、息子たちが小さなころに、毎年夏休みに自転車に乗って走りました。

現在は観光化が進んで、自家用車でまわる人が多いようですが、徒歩と自転車を勧めます。暑くても、寒くても、「吹く風」が違います。

聖徳太子ゆかりの橘寺
聖徳太子ゆかりの橘寺 【画像の引用元

まず、甘樫丘に登って「大和三山」を見るところから始めます。

大和三山
大和三山 【画像の引用元

「畝傍山」「耳成山」「香具山」があって、その三角形の中央に「藤原京」が造られたのです。そして、ビックリすることは、明日香村から「藤原京」を通り「平城京」まで、「古代の道」が一直線でつながっていることです。

ここに高度な測量技術・土木技術があったことが分かります。

「下ッ道」は、藤原京の大極殿まで繋がっているのです。「中ッ道」「上ッ道」が繋がります。生駒山・二上山・法隆寺・大和川に注意してください。

受験アドバイス

手塚治虫の「火の鳥」は、日本の国家の成立がわかりやすく、ドラマチックに描かれています。

火の鳥
火の鳥 【画像の引用元

日本の古代史を知る導入篇としてお勧めです。私は奈良の東大寺の建設で瓦職人を描いた「鳳凰篇」が傑作だと思っています。

法隆寺を建立した目的は・・・

現在の法隆寺は、世界最古の木造建築で有名ですが、地理的な意味で考えると、全く「異なる顔」をもっていました。

聖徳太子は、ライバルの蘇我氏と張り合うために、この「情報と物流の要地」に、戦略的に「法隆寺を建立した」と考えられるのです。表向きは「学問所」ですが、意図するものは違いました。「戦略的な拠点」という意味です。

当時の寺は、広い伽藍を持ち学問僧が集まる「総合大学」のようなものですが、実態は政治的建造物を兼ねていたと思われます。

ここは、「生駒山」と「二上山」に挟まれた土地です。「大和川」「飛鳥川」という物流の拠点です。川は、現在の高速道路のようなものだと考えるとよいでしょう。堺港から、明日香の石舞台の地まで、外国船が「物資・情報を運んだ」というのですから、現在の地形からは想像できません。その首根っこです。如何に重要な拠点であったかが分かります。明日香には、知識のある渡来人が沢山住んでいました。観点を変えて考えると「新しい発見」があります。

飛鳥寺
飛鳥寺 【画像の引用元
飛鳥大仏
飛鳥大仏 【画像の引用元

「鞍作鳥(くらつくりのとり)」の作といわれる飛鳥大仏をみると、どうしても、渡来人の鼻・頭蓋であったりして、どう見ても日本人の顔ではないです。

巨大な古墳の後か。石舞台遺跡
巨大な古墳の後か。石舞台遺跡 【画像の引用元
亀石 謎の石造物
亀石 謎の石造物 【画像の引用元

ペルシャ人もいたようですね。拝火教(ゾロアスター教)の遺跡じゃないかと思われるモノもあります。想像力こそロマンの原点です。

入試で、日本のグローバルという観点で、出題されるかもしれません。

万葉歌人の額田君の恋歌

「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る」これは「万葉集」にある額田王の歌ですね。

安田靫彦作 額田王
安田靫彦作 額田王 【画像の引用元

随分大胆な歌ですね。天武天皇といっしょにいながら、遠方の天智天皇の「愛のサイン」を喜んで受けている。野外で愛の交換を堂々としているのです。

天智天皇が蒲生野で狩りをしていた時に、弟の天武天皇の愛人が「この時の様子」を詠ったのですから、二人の天皇をまたにかけた恋歌です。

現代人以上に、日本の古代の女性は、奔放で大胆で「自由」ですね。

受験アドバイス

日本画にはいろいろな流派があります。「琳派」は、俵屋宗達・尾形光琳・酒井包一ら。

「狩野派」は、狩野永徳・山楽・芳崖らです。明治になって西洋から油絵の技法に刺激されて、日本画も多様に変化し、素晴らしい作品が生まれました。横山大観・菱田春草・橋本雅邦・上村松園・竹内栖鳳・小倉亀遊・平山郁夫・東山魁夷・・・

菱田春草 落葉
菱田春草 落葉 【画像の引用元
小倉亀遊 径(こみち)
小倉亀遊 径(こみち) 【画像の引用元

安田靫彦は、伝統に縛られず、古代を画材に選びながら独特の美の世界を創造しました。

ほんとうに「大化の改新」があったの?

645年に「大化の改新」があり、天皇中心の政治体制が整ったといわれますが、果たして「大化」という年号があったのか、否かという議論があります。

大化の改新
大化の改新 【画像の引用元

古事記・日本書紀は『正史』ですから、中臣鎌足とか中大兄皇子に都合がよい記述が多いというのも、あながち否定できないですね。口述したという「稗田阿礼」という人物さえ「実在したか、否か」の議論があります。

それはともあれとして、飛鳥から奈良へと発展し、遣隋使・遣唐使を派遣して先進文明を積極的に導入し、わが国の発展を図ったことは事実ですね。

多くの留学生・仏僧は、いったん寧波に上陸し、天台宗・国清寺で語学研修をしてから、長安に向かったのです。最澄はこのルートでした。

遣唐使と共に唐にわたった仏僧「最澄」は、官費留学のエリートでしたが、「空海」は私費留学生でした。二人は、当時中国で流行していた「密教」を学び、日本の仏教の発展に大きく寄与し、影響を残しました。

帰国してから、最澄は庇護を受けて「比叡山」を開き、空海は地方から実力をつけて「高野山」を開いたのです。

私は、静岡県と中国浙江省の「友好提携事業」に携わったので、中国の寧波に行ったことがあります。現在は整備されていますが、当時は文化大革命の名残もあって、田舎の港町に過ぎませんでした。防潮堤を歩いてみると、夢と野心をもって日本からきた留学生・留学僧の「声」が聞こえてくるようでした。

受験アドバイス

遣隋使・遣唐使が持ち帰った中国の文物は、日本の国家形成に大きな影響を残しました。奈良の「律令国家」は「律(刑罰・禁止法規)」「令(行政の規定)」を整えるとともに、寺院を造営し、財政援助をすると共に仏教思想の管理統制を強化しました。

宗教的には、仏教は「豪族の現世利益」のためのものから、「鎮護国家」に組み込まれ、聖武天皇は東大寺、地方の国分寺・国分尼寺を造り、国家の形を整えました。

東大寺の大仏(盧舎那仏)の開眼供養にはインド僧も参加したといわれます。

松の木がある小さな丘が平城宮の後だった

むかし、「大極殿跡」といわれた小さな、小さな丘がありました。

「へェー! こんなところに平城宮の内裏があったなんて信じられないなあ」

丘の上から遠方を見ると、近鉄奈良線の電車が走っていました。

小学生の息子たちと「この地下に奈良時代の遺跡が眠っているよ。畦道を、歩数を数えながら歩いてみよう」と、雑草の中を行きました。

それから数年後、内裏の後に建てられた宮殿の前に立ちました。目の前に、整備されつつある宮殿跡がありました。発掘が進んでいたのです。

復元された平城宮跡
復元された平城宮跡 【画像の引用元

藤原京・平城京の「街づくり」は、渡来人の知恵と技術なくしては出来なかったでしょう。現在は、再建された「遺跡址」は公園になっています。

平城宮の「碁盤の目」
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唐招提寺
唐招提寺 【画像の引用元

平城宮は、一条から九条まで「碁盤の目」のように整備された設計です。

きれいに大路で「右京」と「左京」に分かれ、官庁・大寺がキッチリ配置される見事な配置です。西の大寺(西大寺)・東の大寺(東大寺)・藤原氏の氏寺(興福寺)、氏神(春日神社)、唐招提寺や薬師寺・大安寺を「俯瞰」してみると、「アーバンデザイン」に興味を持つ人は、良い参考になると思います。

受験アドバイス

ウイーンはドナウ川の河岸にできた街ですから、古くから大きさにそって、三日月のような城壁ができていました。街の拡大に伴い次の城壁。次の城壁ができていて、現在は道路になっています。

ウイーン
ウイーン 【画像の引用元
パリ
パリ 【画像の引用元

パリはセーヌ川の中州にノートルダム寺院ができていて河岸に発達した街です。長安(西安)が、平城宮・平安宮のモデルになったのですが、平地・川・山に沿ってできた都市の発達は、「個々の建造物」と違った「アーバンデザイン」として興味がありますね。世界中に、いろいろな都市の形があります。

最大の文化遺産は「仮名文字」の発明です

カタカナ・ひらがなは、日本の文化の方向を決定づけました。漢字を「真名文字」といいました。「真」とは本物という意味です。「仮」はアレンジですね。

ひらがなのつくり
ひらがなのつくり 【画像の引用元
カタカナのつくり
カタカナのつくり 【画像の引用元

教養人は漢字で文章を書き、一段低い扱いの女性が「仮名文字」を使うというわけです。だから「をとこもすなる日記・・・」という表現から、紀貫之『土佐日記』(934年)を仮名文字で始めるのです。女性になったふりしてね。

「紫式部日記」(1008年)「更級日記」(1020年)に影響を与える「日本日記文化」の原点になりました。和漢混合で書く日記が「普通」になりました。

受験アドバイス

言語・文字は民族の生命です。征服した国家は、他民族の独自文字を消し去ろうとします。『キュリー夫人伝』(エーブ・キュリー著)に、ポーランドの学校で内緒で母国語を学習しているところを、突然「ロシアの監察官に踏み込まれ威嚇される場面」があります。マリは代表で詰問されます。監察官が去った後で、皆で大泣きしたと記されています。大国の「言語の同化政策」です。

「放射能」(radioactivity)と命名したのは、マリ・キュリーですね。

著者は次女のエーヴ
著者は次女のエーヴ 【画像の引用元
ラジウムを発見したキュリー夫妻
ラジウムを発見したキュリー夫妻 【画像の引用元

(安達昌二:お茶ゼミ√+特別顧問)

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