『史記』:夜郎自大・衣食足りて礼節を知る・五十歩百歩~漢文を通して考える~

はじめに

『史記』が「共通テスト」・世界史に出題されましたね。

今回は、馴染み深い「夜郎自大」・「衣食足りて礼節を知る」・「五十歩百歩」の三つを通して、人間(ニンゲン・ジンカン)を考えることにします。

(1)夜郎自大

滇王與漢使者言曰 漢孰與我大 及夜郎侯亦然 以道不通故各自以為一州主 不知漢廣大 <出典> 史記

これは「井の中の蛙、大海を知らず」と同じような意味です。

漢帝国が全盛期に入った頃、辺境の地「夜郎」という国に、使者を送った時の話です。

夜郎の国王は、自信満々で「我が国と漢とでは、どちらが大きいか」と尋ねたのです。

つまり、自分の力をわきまえず、大きな顔をしたのです。

「自大」というのは、「尊大に構える」・「誇り高ぶる」という意味です。

これは、「仲間内で威張っている様子」ですから、よく見かけることですね。

井の中の蛙、大海を知らず

一流大学に合格して、生意気になって「周囲からヒンシュクをかっている人」を見かけませんか?

実力や知識もないのに、尊大に構えている人はどうしようもないです。

大学に進学してみればわかりますが、優秀な人はたくさんいます。

ましてや、日本だけでなく、世界を見渡せば人材ばかりです。

君は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という格言を知っていますね。

賢くなればなるほど、謙虚になることをさしています。出所不詳です。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

君は「夜郎」が、漢の時代の偏狭の地域の国名であるとは知らなかったかもしれませんね。

それはそれでいいです。強大な漢を知らないで、極小の自国と比較する愚かしさは「笑えます」が、そもそも、他の世界を知らないから夜郎自大になっているのです。「野郎」と書かないように注意してださい。

明治以降の日本は、まさに「夜郎自大」だった

考えてみると、明治以降の日本の国も、列強から見ると「夜郎自大がぴったり」でした。

大国イギリス・フランス・ドイツの「強さ」についてまるで知らない。

ましてや、旧大国ロシアに戦争を挑むなんて、とんでもないことでした。

坂の上の雲
坂の上の雲 【画像の引用元

しかし日露戦争で、ロシアの「バルティック艦隊」を破るなんて「あり得ないこと」をやり遂げたのです。

司馬遼太郎が描く「坂の上の雲」に登場する伊予松山の、秋山兄弟・正岡子規には、感動しますね。

夜郎が漢を破るようなものでした。

時には、背伸びも重要です!

無知・無教養の「夜郎自大」は困りますが、人間は、ハッタリでも、突っ張りでも、時には「自分を大きく見せることも重要」です。

矛盾しているようですが、少し背伸びする・見栄を張る。目標を高くに上げて努力すると、いつの間にか本物の実力がついていくことがあるからです。

等身大だけが全てではありません。若い時には、背伸びも必要なのです。

人間は、どんな理由やキッカケが「人生の方向が決まる」ものかわからないです。

私の友人の中にも「予期せぬ方向」に進んで成功した人が沢山います。

大切なことは、不本意とか不条理とかを嘆くことでなく、当面する局面を乗り越えていく努力です。

この能力を「Serendipity」といいますが、司馬遷にしても、宦官にさせられなかったら、これほどの高いレベルで史記をまとめることはなかったでしょう。

「悔しさ」をバネにして強くなるのです。

『史記に登場する人物』は、善人も悪人も魅力的です。それが人生の面白いところです。

私の近辺に、そうした人物がたくさんいます。

受験アドバイス

『史記』が書かれた背景に触れておきます。司馬遷は、匈奴に敗れた「李陵」を弁護したので、前漢の武帝の逆鱗に触れて、屈辱的な「宦官」にさせられました。落ち込んでいる彼に向かって、父親は「この国の歴史を記録した書物がない。お前はこれまで散逸していた記録を集めて国史の編纂を完成させることが任務だ」と諭しました。彼は奮起して、あちこちに散らばっている資料・記録を集めて作成したものが『史記』です。

中島敦「李陵」
中島敦「李陵」 【画像の引用元

だから、史記を編年体で書くことは不可能で、紀伝体にならざるを得なかったのです。史記の真骨頂は「列伝」にあるといわれますが、この中で、無名の人に焦点を当てて記録に残すという発想は、「武帝に対する彼の強い反発・意思表示だった」のではないかと思います。「紀伝体」というのは、年代ごとに事件を追って記録に残す「編年体」とは記録方法がまったく異なります。いつ、誰が、どこで、何を・・・を、年を追って書く編年体の方が一般的ですが、ここから、新しい記録のつけ方が始まっているのです。

(2)衣食足りて礼節を知る

倉廩実則知礼節 衣食足則知栄辱 倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱 <出典> 菅子 牧民

〔倉廩(そうりん)実(み)つれば則(すなわち〕礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る。〕

倉廩とは「倉庫のこと」・「牧民」とは 人民を治めることです。

「米倉に穀物がいっぱい詰まっていて、衣食が足りていれば、道徳心をもち礼儀と節操を知るようになり、名誉と恥辱の違いを心得るようになる」という庶民に道徳を教えていると解説をする人が多いですが、「誤解」を招きやすいです。

衣・食が足りたら、礼儀正しい人間になると、君は思いますか?むしろ「生意気」・「傲慢」になる人が多いですね。目に余る「節操のないリーダー」が多いことをみればわかりますね。

管仲
管仲 【画像の引用元

これは、孔子より百年も前の中国・春秋時代に活躍した「管仲」(~645)という斉の宰相の言葉であると伝えられています。

君は、いまから、約2,300年前の春秋時代に「衣・食が足りていた人」がどれくらいいたと思いますか?

ほとんどいないですよ。

支配者(貴族)以外の「庶民」は、衣・食どころか、寝床も曖昧で貧しい生活を強いられていました。

このころになって、木製の鍬・鋤の先に薄い鉄を巻くことができるようになり、生産が7~8倍に上昇したのです。

空中窒素を土中に入れることができたからです。

鋤に鉄をまく
鋤に鉄をまく 【画像の引用元

私は、何度も中国に行きましたが、地方・田舎に行くほど、ひどい状態で、いまでも「貧弱な衣・食・住」に耐えている人がたくさんいます。

そのように考えると、管仲は「誰にむかって発信しているか」が重要ですね。当然、庶・民ではありません。

これは政治を行う者・つまり「為政者」に対して発信した言葉であることが理解できますね。

猫

言い換えると「民生が安定することの重要さ」を言っているのです。

日々の暮らし、生活にゆとりができさえすれば、民の道徳意識がおのずと高まるから、「民衆の日々の暮らしを楽にできる政治」をしなさい。しっかりした「経済政策」をとるべきだといっているのです。表面的な言葉に惑わされないようにしましょう。

セレブ(富裕層)

私は、世の中のセレブ(富裕層)の人たちと接してきましたが、彼らの中には人格者もいますが、「この人に道徳を語って欲しくない」という人もたくさんいました。

有名人・著名人・マスコミに登場する人の「汚職・不倫・贈賄」を聞くたびに、強い怒りを覚えます。

衣・食・住が足りて「民の心」が分からなくなっているのです。

嘘を平気でいう政治家・実業界の人、影響力がある指導者は、もっと言動に注意する必要があります。

汚職・不倫・贈賄

これに対して、介護や福祉に携わっている人が、経済的に貧しく、恵まれない場合が多いですね。矛盾しています。

自由や平等が重視される時代にあって、指導者たちはもう少し礼節にこだわってもいいのではないでしょうか。

介護や福祉に携わる人々

私は「衣食足りて教養なし」・「栄養たりて教養なし」という現実に腹を立てています。

ますます「格差が広がる」時代ですから、若い君には「品格と見識」にこだわる人になって欲しいです。

受験アドバイス

「人はパンのみにあらず」(マタイ伝4・4)という新約聖書にある言葉を使って、「精神的に生きることの大切さ」をいう人がいます。これは誤解を招きやすい解釈です。聖書の言葉は、背後に「神の愛」があります。パンは神が与えてくれるものだからです。これと「衣食足りて・・・」を同次元で取り扱うことは誤解を招くのです。「衣食足りて・・・」は「為政者=君主の心得」を述べているのですからね。君は、歴史・背景をしっかり理解して語る人になってください。

(3)五十歩百歩

以五十歩笑百歩 <出典> 孟子 梁恵王上

「五十歩を以て百歩を笑う」と読みます。

本質的には大差ないことや、似たり寄ったりで、どっちもどっちという意味です。

日常生活の中でも「五十歩百歩」と使われることが多いですね。『孟子』に出てくるたとえ話からきています。

五十歩百歩1 五十歩百歩2

孟子が「梁」という国の王様に会った時「私は優秀な国王だと思うけれど、どうして高く評価されないだろう」と質問するので、「戦争に行って、五十歩で逃げた男が、百歩で逃げた人を臆病だと笑った」という例え話で答えたというエピソードです。

「あなたは善政をしている優秀な国王のつもりだけれど、どこの国も、あなた程度のことは、当たり前にやっていますよ」といったのです。が、国王は孟子のいうことが理解できなかったというのです。

学習した「時間」の長さが実力差に

普通は「大した差じゃない」という解説が多いですが、私は「時間」と「距離」によって「差の大きさが異なる」と考えます。

例えば、中高生が、コツコツと勉強しても、しなくても、長い人生をトータルで見ると「大した差」じゃないこともあります。

しかし学習した「時間」の長さが実力差になっていることも事実です。受験勉強は顕著ですね。

日々の「暮らしの力点」によって生まれた「距離の差」が目に付きます。

年齢とともに、知識・教養・人間力がハッキリしてくるのです。五十歩の差の積み重ねからうまれる差は、小さくもあり、大きくもあるのです。

志望校に不合格になったからといって落ち込む必要もないですが、ガッカリすることも重要です。

悔しさを知るのも、人生の価値です。「次を頑張ろう!というエネルギーが重要だからです。

大切なのは「目指している方向」です。意識の差とも言えますね。

君は「若い」です。「可能性」に満ちています。この際「五十歩百歩」の二面性を学んでください。

天使と悪魔

受験アドバイス

李宗吾の「厚黒学」という学問があります。「性悪説」の典型的な見方ですが性善説も性悪説も「人間をいかに観るか」という観点の違いにすぎないのです。大きく言えば「五十歩百歩」と同じですが、やがて君の人生観は、どちらに傾いていくことになるでしょうか。

(安達昌二:お茶の水ゼミナール特別顧問)