アルプスの少女ハイジと「傭兵」のお爺さん

はじめに

スイスの景色は素晴らしい。

限りなく緑の山々が続き、牧場の空気がおいしい。

遠景に見えるアルプスの山々・・・

アニメの「ハイジ」の世界が広がっている。

ハイジが描かれたころのスイスは、大半が山岳地帯であるために、農業や産業が育たない貧しい国で、国家を支えていたのは「傭兵業」でした。

シュピリの原作(1880年)によれば、ハイジのお爺さんも、ナポリの傭兵として、戦場を渡り歩いたと記されています。

スイスの傭兵と悲劇

フランス革命の「市民軍」に対峙したのは、国王ルイ16世に従ったスイスの傭兵でした。

国王が降伏後、スイス傭兵は、市民たちに無抵抗のまま殺害されました。

貧しいために傭兵になった人たちの悲劇です。

現在はスイスのルツェルンに慰霊碑があります。「嘆きのライオン像」です。

嘆きのライオン像
嘆きのライオン像 【画像の引用元

いまも、バチカン市国は、スイスの傭兵で守られています。

「傭兵」とは、金銭などで雇われた兵隊・軍隊のことです。

直接的な利害関係がない兵士で戦争請負人ですから、近年は禁止されています。

しかし非公認ですがアフリカなどにいるようです。バチカン市国の、スイスの「衛兵」は特例です。

「民間軍事会社」の社員のようなものだと解釈していいでしょう。

受験アドバイス

「バチカン市国の衛兵」になるためには、いくつかの条件があります。

まず身長は174センチ以上であること、スポーツ能力が高くて、職業訓練・基礎訓練などを受けたカトリック信者、スイス人で、独身であることなど、ハードルは高いです。その割に給料が低いので、最近は応募者が少なくなっているそうです。派手な制服は、ミケランジェロのデザインだという説がありましたが違うようです。衛兵はカッコいいので、観光客に人気がありますが、決してラクな職業ではないようです。

“自然に帰れ”ルソーの思想の影響

ルソーは、1755年に「人間不平等起源論」を書き、自然は人間を善良で自由な存在として創造したが、社会が人間を堕落させ、奴隷にし、悲惨にしてしまいました。

だから、“自然に帰れるべきだ”と主張しました。

彼はフランス革命を誘導した一人です。

また、1762年に『エミール』を出版し、子供たちの本性を大切にし、自然な成長を促す教育論を展開しました。

人間不平等起源論
人間不平等起源論 【画像の引用元
自分のために生き、みんなのために生きる
自分のために生き、みんなのために生きる 【画像の引用元
ジャン=ジャック・ルソー
ジャン=ジャック・ルソー 【画像の引用元

彼は、『人間は二度生まれる。一度は存在するために、もう一度は生きるために』と、君の年齢の人のことを「第二の誕生」と言いました。

つまり、自我が芽生えてきて「生物として生きてきただけ」の自分とは異なり、「自分を見る自分」が存在する認識を持つことの大切さを主張しました。

シュピリは、こうした時代の背景の中で、ハイジを通して子供の成長を多角的に考えていたと思います。

受験アドバイス

ルソーの影響を受けたペスタロッチ(スイス)の教育思想と行動は、日本の教師たちに大きな影響を与え、教育の精神的な支柱になりました。彼の思想の特色は、「子供の自発的な活動」を通じていろいろな「能力を調和的に発展させる」・「人間教育」にありました。君は、知らぬ間にペスタロッチの影響下で育ったのです。教育学に関心がある君は、ペスタロッチからスタートすると良いでしょう。

教育実践家 ペスタロッチ
教育実践家 ペスタロッチ 【画像の引用元

フランクフルト・アム・マイン

ハイジは、フランクフルトで「少女クララ」の祖母から、キリスト教的教養(プロテスタント)を学びます。

自然児のハイジにとって、大都市の生活は苦痛であり、あげくの果てにストレスで夢遊病者になってしまいます。

そこで故郷のアルプスに帰されるというストーリーが展開しますが、田舎で育った人間が、大都市に生活に慣れないために体験するストレスは、現在と「あまり変わらない」ですね。

大都市で勉強し、教養を身につけることは、「時」と「場」が違っても大切なことです。

ハイジは苦労しながら成長していきます。

旧市街 レーマ広場
旧市街 レーマ広場 【画像の引用元
アンネ・フランク
アンネ・フランク 【画像の引用元

フランクフルトはドイツの玄関口でハブ空港もあるので、これから、君は何度も行く街でしょう。

正式名は、フランクフルト・アム・マインと言います。旧市街には美しい街並みが残っています。

クララの父は実業家と記されていますが、多分、金融業に携わっていたのではないでしょうか。

現在も金融ビジネスが盛んな都市です。中世から、ユダヤ系の金持ち・文化人も多く、ヒトラーに迫害された『アンネの日記』のアンネ・フランクもこの街に住んでいました。

受験アドバイス

宗教改革は、ドイツのルターから始まりますね。教皇レオ10世が「サン・ピエトロ大聖堂」建設資金をえるために「免罪符」を販売したからです。大富豪のフッガー家からの借金の代わりに発行したのです。これに対し、ヴィッテンベルグ大学の神学教授が、教会の扉に「95か条の論題」をラテン語で書いて、“私と議論しよう”といったのです。この神学教授がマルティン・ルターです。

95か条の論題
95か条の論題 【画像の引用元

1517年のことでした。当初、彼は宗教改革なんて念頭になかったのですが、折から「活版印刷機」が発明されていたので、支持者があって一気に広まりました。キリスト教の教義問題から、政治問題へと発展し、大事件になります。クララのお祖母さんは、ルター派の敬虔主義の人だと思います。

不透明なEUのこれから

君が活躍する20年後~30年後のEUは、どうなっているでしょうか。

ヨーロッパ統合の理想を掲げて発足したEUですが、「これから先」が見えません。

アメリカも、中国も、ロシアも「EUの崩壊を画策している」というニュースがありますが、あながち「フェイクニュースである」と断言できないところに「危うさ」があります。

EU旗
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欧州議会
欧州議会 【画像の引用元

君が承知している通り、時間の問題で、イギリスがEUから脱退するでしょう。

そもそも、イギリスの参加は1973年・難渋の果てでしたが、脱退も混乱です。

ギリシャ・イタリア・スペインなどの「今後の動静」も怪しいですね。

アルザス・ロレーヌ地方
アルザス・ロレーヌ地方 【画像の引用元

ドイツは、多くの国と国境を接していますから、常に紛争を抱えてきました。

特にフランスと接するアルザス・ロレーヌ地方は、豊富な地下資源を持っていますから、争いの種でした。

そこに住む人も、ドイツ人ともフランス人とも区別がしにくい人々ですから、「ECの理想は紛争のない地域」の実現でした。

パリ条約(1951年)・ローマ条約(1957年)に、欧州石炭鉄鋼共同体(ECST)・経済共同体(EEC)・欧州原子力共同体(Euratom)が合体してEUが発足し、現在は27か国の加盟国がある政治経済同盟に発展しています。

ここには、共通するEU法があり、単一通貨(ユーロ)もあります。

しかし、再びバラバラになったヨーロッパを予想すると、怖くなります。紛争が絶えない地域になるでしょう。

受験アドバイス

「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」(南木史訳)

ドーデの「最後の授業」の一部です。<出典:Wikipedia>

こうした悲劇を繰り返したくないという強い思いで、ドイツ人でフランス国籍を持ったロベール=シューマンは、1950年5月9日のECSCの発足に尽力しました。「ヨーロッパの日」です。イギリスは利益にならないので反対しました。

また、クーデンホフ・カレルギーは1923年に『汎・ヨーロッパ』と題する書物において“ヨーロッパの統一”を呼びかけ、第一次大戦の傷跡の残るヨーロッパに一つの「希望」を投げかけました。グーデンホフ伯の母親は、日本人の青山光子さんです。彼は日系2世です。名画『カサブランカ』の舞台です。「大志」のための行動です。

戦争の足音が消えない

困ったことに「戦争の足音」が消えません。

全く意識したことがない地域が、世界を戦争に巻き込んだのが、1914年の「サラエボ事件」です。第1次世界大戦の勃発です。だから、いまどこかで起こった「小競り合い」が、大国の利益・対立を巻き込んで世界戦争になってもおかしくないのです。そしたら、人類は壊滅的な打撃を受けるのは必定です。

朝鮮からの攻撃を防ぐための「イージス・アショア」の配備計画撤退がニュースになっていますが、これは、国家の安全が保障されたわけではありません。

『戦争論』では、ドイツの「クラウゼヴィッツ」とフランスの「コジェ・カイヨワ」の二人の著作を知っていて欲しいです。

クラウゼヴィッツ
クラウゼヴィッツ 【画像の引用元
ロジェ・カイヨワ
ロジェ・カイヨワ 【画像の引用元
戦争論
戦争論 【画像の引用元

前者はフランス革命後のナポレオン戦争を背景にしたものです。国王を守る「傭兵の時代」から、「国民軍・徴兵制」へのchangeを述べています。

カイヨワは、戦争が国家のものとなり「国家のために死ぬ」という総力戦になったと述べています。

「戦争とは何か」を考える基本的なものですから、君に読むことを勧めます。

受験アドバイス

戦艦大和の出航の前夜、甲板の上で「なぜ死ななくちゃならないのか」・「国家のために死ぬのでいいじゃないか」・「死ぬ意義が見えない」・・・学徒動員された若者たちが激論し、苦闘したことを「戦艦大和の最期」に、吉田満さんが書いています。生き残った吉田さんは「死体と油にまみれた海の中で、私は何度も『生き残ってはいけない』と潜るのですが・・・」手が震えていました。その挫折・体験を抱えたまま終戦。

終戦直後、近所に住む吉川英治さんに体験を話したところ「それを文字にしなさい」と言われ、便箋に一気に書き上げたものが、後日、筑摩書房の国語の教科書に載りました。1970年ごろの話です。知人が、高校生の感想文を吉田さんに送ったところ「私の体験が、次の世代に伝わるとは・・・」と清水市までやってこられました。静岡県立清水東高校です。このコラムの読者(保護者)の中に、この時、吉田さんにお会いした方がいらっしゃるかもしれません。

(安達昌二:お茶の水ゼミナール特別顧問)