お茶ゼミブログ

2022/7/22 国語 秋元
夏期講習も始まっていることですし、
久しぶりに「現代文」について正面から語ってみようと思います。
数年ぶりにちゃんと?書いてみるので飛ばし読みする人もいるでしょうが、
夏期講習の「現代文」講座の受講前後に目を通しておくことで、
多少とも学習効果が上がるといいな、
との思いを込めながら以下に記してみます。
まず「現代文」を学ぶにあたって、
そもそも「現代文(評論文※)」とは何が求められる教科なのか、
を押さえておく必要があります。
※評論文も小説文も求められる要素は同じだという考えもあることは
十分承知の上で、今回は「評論文」に特化して述べます。
再三言ってきたことですが、現代文とは「要約」するスキルを問う教科です。
「要約」とは何かというと、「テーマ(論じる対象)」と「定義(対象の特徴・性質)」を抽出することです。
一般的に数千字を100字から200字ほどに圧縮する作業のことです。
本文未読の人にも意味が通じる文に仕立てなければなりません。
ただ全文の要約作業は負荷が高いので一部の難関大学以外はあまり課すことはなく、
その代わりに部分的な要約(傍線部の言い換え)や空欄補充や脱落挿入文などの問題を通して、
受験生の能力を計ろうとしているのです。
設問形式の違いとして、「記述式」と「選択肢式(マーク式)」がよく挙げられますが、
本質は同じで、両者とも根底にあるのは要約(部分的であっても)する力を問われているのです。
「選択肢式」はあらかじめ「正答」を想定しておかないとヒドイ目に遭います。
なにしろ選択肢は受験生をだますためだけに存在しているのですから、
無防備に選択肢を目にしてしまうと振り回されてもみくちゃにされて
もはや本文を精確に読むことがママならなくなってしまいます。
「選択肢式」の方がレベルが低いと思っている人もいるでしょうが、
「記述式」は部分点が狙える(まあまあわかっていれば、まあまあ点数ももらえる)のに対し、
「選択肢式」は「正答」をしっかり握っておかないと、
少しでも紛らわしい選択肢に引き摺られた瞬間に0点なので、
むしろスリリングだと言えます。
さて、今回のブログで言いたいことはここからです。
さきほど、「記述式」と「選択肢式」の本質は同じだと言いましたが、
僕は受験生のころから「選択肢式」のほうが好きだったのです。
「現代文」が好き、というよりは「選択肢式の現代文」が好きだったのです。
これはどういうことでしょうか。
ズバリその理由を言ってしまうと、「選択肢式の現代文」とは、「本文」と「選択肢文」
という2つの文の解読を求められるからです。
「共通テスト」以降、複数の文章処理が流行っていますが、
いやいや、「センター試験」(その前の「共通一次試験」)の頃から
とっくに僕らは複数の文章の照らし合わせ作業をしていたのです。
ぼくはこの、大学側が用意してくれる「選択肢」とのやり取りがとても好きだったのです。
「選択肢」にはいくつのパターンがあります。
またあえて完全なる「正答」がなく、「意訳」したものが「正解」という場合もあります。
選択肢を通して、「本文」だけではなく、
「出題者」との対話の楽しさが僕が現代文にはまったきっかけなのでした。
ということは、大学(出題者)によっては、
つまらない選択肢を出してくることもあるし、
唆(そそ)る選択肢を取り揃えてくれることもあります。
現代文でもたまに同じ「本文」が、違う大学入試で出題されることがあります。
大学によって傍線部の箇所が違ったり、同一箇所でも選択肢は全然違ったり、
「正答」さえ違ったりします。
この違いが面白い。
ほれぼれすることもあれば、腹が立つこともあり、
僕の場合は「センター試験」や「早稲田大学」や「関関同立」の入試問題がたまらなく好みでした。
「本文」を巡って、「出題者」と「僕」の頭脳プレイというか、
「本文」を通して、「出題者」と「僕」が対話する感覚が僕の好きな「現代文」なのです。
機会があったら、同一本文でも大学によって料理の仕方がいかに違うかを
授業で紹介してみたいと思います
(料理の仕方に違いがあることは「現代文」の虚構性を意味するものではありません。
ただおいしい料理と下手な料理があるだけです。
ぼくは絶品料理を君たちに味わってほしいと願うばかりです)。
それでは暑くて長い夏期講習ですが、「現代文」をお楽しみに!