お茶ゼミブログ

2008/4/30 国語 秋元
今だとチベット問題か。だからといってチベットを取り上げるのはあまりにも
あざといし不謹慎ではないか。
でもチベットの思い出がないわけではないのだ。今思い出した。
中学の時に地理でレポートの宿題が出た際に僕はチベットを扱ったのだ。
といっても悪ノリして、チベットというよりはチベット密教、チベット密教と
いうよりは「不老不死」について書きまくった。読む方が苦痛になるくらい
書いた。
宿題をからかいたかったんですね。いわゆる中2病です。当時僕は中3だった
けど。
それを先生が好意的に勘違いしてくれて、「君のチベットに対する情熱に敬意を
表する」として、チベットについて授業までさせられることになってしまった。
しかも僕の授業を期末テストに出すとまでいう。居たたまれない思い出です。
でもこれが僕がした初めての授業になるのか。ちなみにもう一人選ばれた生徒
がいて、それが今は俳優の西島秀俊君でした。…さて、ヒット数伸びるか。
今回は早稲田・・
著作権の都合で。今後「現代文」という科目は大丈夫なんだろうか。
問六 俳句の話でよく引き合いに出される例に、「この土手に上るべからず警視
庁」という標語がある。五七五の一七音から成るが、問題文の筆者によれば、
これを芸術作品(俳句)として認められるだろうか。筆者の立場に最も近いも
のを次のイ~ホの中から選び、答えよ。(早稲田・政経・99)
この設問にどう振る舞うかで「現代文」の素人かどうかがある程度わかります。
「現代文」において「具体例」とはどうでもいいもの、筆者の主張が伝われば
なんだっていいもの、差し替え可能なものです。
そのようなどうでもいい「具体例」から考えない、「具体例」に引きずられない
ことは「現代文」の鉄則なのです。
その「具体例」を設問文にまで持ってきて受験生の目を眩まそうとする早稲田
が僕は好き。
だから上記の設問文は
「筆者は芸術作品をどう定義しているか」
というごくシンプルな筆者の主張を問う問題に過ぎないのです。
とにかく早稲田の入試問題は「あることに気づけば急に爽快」。
次回さらに早稲田の現代文に踏み込んでいきたいと思います。