Benesse お茶の水ゼミナール
国語
「易化」した中で、「成果」を見せつけ、しっかり「差」をつけるために、僕らがするべきこととは「何」か?

今回のセンター国語は、現古漢4題ともおしなべて「易化」したといえるだろう。執筆段階ではまだ平均点はわかっていないが、おそらく平均点も点数分布においても3年前(2016年)に準じるような結果が出るのではないか、という印象を受けた。
例年、国語は8割(160点)以上の取得者が急減する傾向があるが、今年は高得点者も珍しくないだろう。しかも、あまり国語の対策をしていなかった理系の受験生の間で。だが、それでも然るべき鍛錬を積んできた受験生は8割といわず、9割超え、200点満点をしっかりモノにして、「格」の違いを見せ付けてくれたのではないかとも思っている。「地頭」や「試験テク」だけでは突破できない「仕掛け」をしたたかにクリアして、かつてない高得点を記録してくれたに違いない。いくら「易化」しても、「国語」に向き合ってきた者こそが確実に解ける設問が今年もきちんと用意されている。
この文章は、これから受験する高校生に向けて書く設定になっているのだが、以下に、具体的に「差」がつく設問を紹介する。

第1問
問5
「5人の生徒の会話形式」という設問設定にポイントがあるのではない。
解答は②(異なる発言)なのだが、何がポイントかというと、「あのう、花子さん、月がきれいですね」という具体例の扱いである。
「評論文」という科目で、アマチュアがひっかかりやすいのは「具体例」というトラップである。「具体例」を無自覚に読み込み、自分の勝手な「思い込み」から連想して、ダミー選択肢にだまされてしまう、というパターンに嵌るのがアマチュアたる所以だ。
「あのう、花子さん、…」は、翻訳の戦略の一つである「言い換え」の一例であり、「時代や文化の違い」による齟齬を示すための例ではない。いつも「何のための具体例」か、ということに自覚的であるのがアマチュアから脱却する第一歩なのである。

第2問
問3
問6
いずれも「消去法」が有効な、センター小説文の王道といっていい設問である。
中でも、問6の①は「変化」に敏感であったか、が問われているアマチュア度を測る典型的なダミーだ。16行目で「妹は急に生き生きして来た」とある。逆にいえば、それまでは「生き生き」していなかったのである。よって、それ以前の2行目、4行目を根拠にして「妹の快活な性格」というわけにはいかないのだ。

第3問
問5
本文6行目「我、姫君に逢ひ奉らば、必ず御身いたづらになり給ひぬべし。」の「いたづらになり給ひぬべし」の主語を、直前の傍線部Aに引き摺られて「狐」だと思ったならば正解に至らない。古文読解の要諦は「動詞」からどれほど「情報」を引き出せるか、にある。この文では「給ひ」が「尊敬」であることに反応し、主語が「語り手」=「狐」ではないことを押さえる必要があった。アマチュアにはそれができない。

問6
古文において、和歌は非常に重要な役割を持つが、「内容把握」をするにあたっては、まず「和歌」は置いておくのが常套である。多くの古文読解をこなしてきた者にとっては容易であった。

第4問
問5
今年のセンターは平易であった、と書いたが、中でも漢文は「注」の多さもあり、「漢文」に負うところが大きかった生徒は拍子抜けしたことだろう。ただ、やはり漢文の素養がない受験生が解きにくい設問がなかったわけではなく、例えば問5傍線部Dの「卒」。漢文単語として覚えておくべきものである。

以上のように、どんなに平易になったとしても、それでも「国語」を軽んじて、その場の「気合」だけでこなしてしまう者には限界がある。
今年は160点以上の価値は多少とも薄れると思うが、であるならば、訓練を積んできた生徒は、これ見よがしに190点200点と「かます」いい機会である。ちなみに僕の頃のセンター(第1回・第2回)はそれほど難しくなく平均点も高かったのだが、195点・192点(いずれも1問間違い)を取った受験生は周りにいなかったと記憶している。
これから1年間・2年間と僕らから習って、僕らを抜かして卒業していってください。


第1問評論文「翻訳」をめぐる文章。オーソドックスな設問設定
第2問小説文「小説文」読解の作法が随所に求められる、ベーシックな作り
第3問古文ジャンルは「御伽草子」。人物関係を押さえて読む、物語の王道
第4問漢文「注」が多く、漢文の知識を直に問うものがやや少なかった


平均点変移
20182017201620152014
104.68106.96129.39119.2298.67