お茶ゼミブログ
2021/4/28 地歴公民 片岡
黒かったり、モフモフであったり。
犬や猫は嫌いではないですが、夢に出てくるのは、何の前兆なのか。
少し不安になります。
さて、3月の下旬に埼玉県で面白い条例が成立しました。
エスカレーターの安全な利用を促進しようと、
利用者に立ち止まって乗ることを求める条例案が
3月26日に可決・成立、10月から施行されることになりました。
こうした条例が制定されるのは全国で初めてということです。
最近では、地下鉄など長いエスカレーターが増えて来たので、
安全性という観点から考えると有効なことかもしれませんね。
そこでふと思ったのが、東京と大坂(関西圏)では
エスカレーターに乗っているときの立ち位置が違いますよね。
これって何でなんだろうと思った人は自分も含めて多いはずです。
今回のブログでは、その違いの源を辿ってみたいと思います。
【エスカレーターの歴史】
①1859~1900年 エスカレーターは登録商標だった
エスカレーターという名前が初めて登場したのは1859年で、
その後1900年になって日本では「エスカレーター」が
商標として登録されました。
そのため、しばらくはエスカレーターという名前を使用することができず、
一般的には自動階段などと呼ばれていたそうです。
商標権を維持できる50年が経過した1950年に、
ようやくエスカレーターは一般名称として定着したわけですが、
そう考えるとエスカレーターという名称が市民権を得た時期は
比較的新しいと言えるのかもしれません。
②1892~1900年 エスカレーターの誕生
1892年、ジョージ・H・ウイラーが
動力で動くハンドレール(移動手すり)を考え出し、
また同じ年にジェン・W・レノが
「傾斜形エスカレーター」の特許を取得しています。
しかし、これらのエスカレーターは安全とは言い難く、
現在の原型とも言える、ステップ状のものが付いた
エスカレーターが誕生したのは1900年のことでした。
このエスカレーターは、ニューヨーク市の高架駅に
とりつけられたのですが、その後、高架駅が取り払われる
1955年まで現役として活躍をしました。
③1914年 日本初のエスカレーターが登場
日本で初めてのエスカレーターがお目見えしたのは、
東京・日本橋の三越呉服店(現三越百貨店)で、
1914年(大正3年)のことでした。
デビュー当時には相当の話題を呼んだものと思われますが、
残念なことにわずか9年後の1923年、
関東大震災によって焼失をしてしまいました。
ちなみに日本初の電動式エレベーターが設置された「凌雲閣」も、
関東大震災で受けた被害がもととなってとりこわされており、
日本におけるエレベーターとエスカレーターの歴史的建造物は、
ともに同じ年に失われたことになります。
④東京は左側、大阪は右側の謎
世界的にみるとエスカレーターは右側に立ち、
左側を空けることが多いようです
(交通ルールと関連していることがあります)。
大阪万博が1970年(昭和45年)に開催された時、
会場では国際ルールを採用して右側に立ち、左側を空けるよう、
呼びかけをしました。
そのことで右側立ちが大阪に浸透したのではないか、という説があります。
一方で、今も昔も変わりなく、日本人は右利きの人が多いです。
江戸時代、武士や侍が腰に刀の鞘を差す場合、
右利きの人は左側に差していました。
道で人とすれ違う時に鞘が他の人に当たったりしないよう、
左側を通ったと言われています。
その名残で左側に立つようになったのではないか、という説です。
あくまで、これは諸説あるので、
気になったら自分で調べてみるのもいいかもしれませんね。
いつか、「日本ではどの県・地域からエスカレーターは右側に立つのか」
を調査する旅に出たいものですね。
本当にすいません。太宰治の話は次回。
少々お待ちください。
新学期も始まり忙しくなりますが、
少しずつでいいので復習をしていってください。
基本事項を繰り返し学習することが、成績上昇のコツです。
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