毎週のように学校を訪ね、たくさんの授業を見ています。そして、先生方から授業への想いを聞いています。「NHKデジタル教材」という番組とWebを組み合わせた教材作りや、全国のとびきりの授業を伝える番組を制作するためです。そのなかで、「こんな先生に教えてほしい」と思った先生方のことを書かせていただきます。
今回紹介するのは、看護師を育成する北海道の高校で、母性看護学を教えるn先生の授業です。n先生の授業を番組にしながら、「実用に耐えられる力」という言葉が思い浮かびました。それは、命を扱う看護師だからこそ、しっかりと身に付けておかなければならない力です。そして、「生きる」ためには欠かせない力です。
看護師を育てるこの学校は、5年間の一貫教育。3年間は、衛生看護科で、基礎的な看護知識と一般の高校と同じ必修科目を学びます。その後の2年間は、専攻科看護科で、より専門的な看護学の授業と病院実習を行います。最終目標は、国家試験に合格することです。
今回の授業で行う母性看護学は、新しい生命が誕生する瞬間に立ち会い、赤ちゃんと母をケアするための勉強です。生徒たちは、新生児に関する医学知識から、出産前後の母の健康管理、産後うつなどの心理的ケアまで幅広い分野を習得しなければなりません。
授業を受ける5年生は、19歳と20歳。みんな、出産も子育ても経験がありません。これまで、115時間かけて、妊娠や出産について勉強してきました。そして、1週間後には、産婦人科での病院実習を控えています。
授業は、5人1組で行われます。実習前の総仕上げです。n先生の教え方で印象に残ったのは、一番時間をかけた沐(もく)浴の授業です。その指示と進め方は、「実用に耐えられる力」を身に付けるために、非常に有効な方法だと思いました。
まずは、赤ちゃんを抱き上げるために先生から指示が出ます。
・指示(1)前腕部に首を乗せる。
・指示(2)首の真うしろに手を置き、親指と中指で耳をうしろから押さえる。
的確で短い指示。さらに、生徒たちは、指示に合わせて実際に手を動かします。このように体を動かす作業を組み合わせることで、指示の情報には、付加価値が付きます。
次に、正確に技術を身に付けるため、最初は、お湯を入れないで練習します。実際にお湯を入れる前に、事前練習の段階を踏むのです。段階を少しずつ上げてトレーニングをすることは、技能を身に付ける定番の練習方法です。この時のレベルの刻み具合は、先生の力量を見極めるポイントのひとつだと思います。生徒たちのやる気を出しつつ、次への課題が見えるようにしなければなりません。
また、ここでは、身に付けるために教えるわけですから、成果が上がらなければ、その先生の力が足りなかったということになります。ここでは、わたしは、生徒の責任は限りなくゼロに近いと思っています。
さて、沐浴をはじめると、赤ちゃんが安定しません。そこで、n先生は、「支えるひじを浴槽につけて」という的確でわかりやすい対処方法を示します。さらに、中腰になっていて、腰に負担がかかり、つらくなった様子を見て、「足の幅を変えると楽になる」というアドバイスをします。
本人に「どうしよう?」という疑問が生じたところを見計らってからアドバイスをする。このような状況設定を作ることと絶妙なタイミングでのアドバイスは、「実用に耐えられる力」への扉を開ける鍵となります。
人は、さまざまな情報を知らず知らずのうちにインプットしています。でも活用できる人とできない人がいます。つまり、事前に習っていて、自分の引き出しの中に入っていてもすぐに役立つ力になるとは限りません。n先生の教え方は、学んだ情報に意味を持たせることで、いざという時に、すぐ思い出せるだけでなく、体が反応できるようにするものだと思います。
もうひとつ印象に残ったのは、n先生と生徒たちのやりとりです。赤ちゃんの健康状態を観察する場面です。
先生「異常を判断するのは?」
生徒「……」
先生「正常値以外は、異常。だから、正常値を知る必要がある。では正常値は?」
生徒「……」
先生「実習中に正常値を聞かないでね」
生徒「正常値は聞いちゃ駄目?」
先生「知っておくべきことは、聞かない。答えないからね」
生徒「聞いちゃいけないのですか」
先生「何で聞くの?」
生徒「不安だから……」
先生「不安じゃないように勉強して。教科書にあることは覚えておくこと」
生徒「教科書のとおりしていれば怒られない?」
先生「怒られないようにするためではなく、観察して判断するために実習に行くの」
このやりとりで、生徒たちは、何のために基礎知識を学んでいたのかを再認識しました。そして、「判断する」という経験をするのだという目標を明確にしました。
失敗は許されない看護のプロを育てるための授業です。
n先生は、「看護は、手の温かさや心の温もりが伝わるように、決まった手順でも、心がこもらないと人間のサービスにならない」と話します。そこで、こんな授業も行われました。
生徒たちに自分の母子手帳と小さいころの写真を持参させて行う授業です。母子手帳には、帝王切開や吸引分娩についての記録や、新生児の健康状態を示すアプガースコアなど、生まれた時からお母さんと歩んだ記録が残されています。予備欄に、6歳までの成長の軌跡をメモしていたものもありました。
・1歩はった
・8か月で寝返り
・こんにちはと頭を下げる
・バイバイする
・ねんねがわかる
・人のマネをする
・ラッパを吹いた
・歩く時、なんとなくうちまた
・今日から断乳することにした。朝おっぱいに口紅で色を塗った。欲しがったので「痛い」と言ったら、欲しがらなかった。
自分とお母さんの関係を振り返り、子どもを生むとは、母親になるとはどういうことなのか、生まれ育った自分を振り返りながら学んでいきます。心を揺さぶることも「実用に耐えられる力」を身に付けるためには欠かせません。
その後に行われた病院実習では、独自に手作りの母乳マッサージメモをプレゼントするなど、みんな見事にやりとげ、その後の国家試験も合格しました。今は、看護の現場でがんばっていると聞いています。
n先生の理想の授業。それは、生徒の「わかった」という反応が見える授業だそうです。それは、まさに「実用に耐えられる力」を身に付けさせる授業です。